弊社河辺商会は創業1955年から2018年の今日まで約63年間、プラスチックの射出成型業務を行ってきました。

今回は創業以来、河辺商会一筋63年間の立花さん()を中心に河辺商会の歴史とこれからを対談形式で語って頂きました。

画像左から順に三宅部長(以下、三)、立花嘱託(以下、立)、白石主技(以下、白)

河辺商会の始まり

立:ぼくが入ったのは昭和36年。そのときは前会長の実家の西成区に成型機を1台だけ入れて、それが河辺商会の射出成型の始まりやった。
  ドアを閉めると型が閉まって、レバーを倒すと樹脂が流れるオール手動の成型機。

仕事が増えていって1966年に堺市の中百舌鳥に工場を設立した。

河辺商会の実績

三:カメラ時代、リモコン時代、携帯電話時代

立:カメラのメインはストロボ。それからリモコンがきた。毎日5万セットくらい。

三:携帯は電池パック、お客さんが研究所時代から一緒になってやってた。

お客さんも設計が分かれへんから紙で図面書いてデータ作ってもらったりして、図面になる前から入ってるから勝手に仕事が入ってくる。

白:その頃から成型機も良いのが出てきた。

立:せっかくやるんなら世界で一番いいものを作ろうとして、材料・成型機・技術どれも良いものを使おうってなった。

立:お客さんがリモコン以外に自動車部品をやり始めて、そこに入ろうとして、車関係をやり始めた。

河辺商会が一番のものは?

三:一番にはなっていない。実績がなくて、ほかのメーカーが量産してる。

立:これだけは、っているのはなかなか。業界のレベルがあがってきている。

三:今は新規技術を開発しているけど、まだ量産にはなっていない。これから時間がかかる。

白:昔は実績があるから、勝手に次の新機種が入ってきてた。

三:当たり前のように物を作っているけど、よそではそれが当たり前じゃなくて実はすごい技術。

時代を支える社員を育てるために

三:小さな改善ってのを3年前から始めてるけど、若い子らにも考えてもらった。
  一人は名札が見にくいから名札を変えたら、とか。休憩室が無いから作りたいとか。
  僕らなんかが気付けへん感性がある。言うても一緒やと思われたらあかん。吸い上げたらなあかん。

白:技術を隠そうとか盗むものとかはない。教えてそれを吸い取って欲しい。

三:若い子に教えるのは、自分の知識は後にしてまずは聞いて、吸収しなさい。そこに自分の知識が乗ると大きくなる。

白:やって見せても覚えない。実際にやらせてみないと。諦めずに教え続ける。いつかぐっと伸びる。